Delicious Entree 4
Entree 4
あー、疲れた。
次のレッスンまでの短い間にちょっと休憩。
この頃やけに疲れやすいような気がする。
その原因はわかってるんだけど…。
今日も大学で健太郎に捉まってちゃんと約束を守るように念を押されているところを健太郎の元カノ達に目撃されてしまった。
私達がなにを話してたかは聞こえてないはず…でも陰でいろいろ言われてるんだろうなぁ。
私と健太郎は付き合ってることになってるから…
私が粗食・雑食系だなんて噂にでもなったら全て健太郎のせいなんだから…もう。
英会話学校の休憩室で健太郎の顔を思い出して溜息をついたその時、同僚のジェシーが私の横に座った。
私はジェシーと仲がいい。
彼がオーストラリア人ってこともあるけど、それよりもジェシーの感性の良さって言うのかなぁ…。
加えてゲイの彼とは恋愛感情抜きで付き合えるし。
ジェシーは火星で生まれて金星で育ったようなものだから、私の気持ちもわかってくれる。
「どうしたの?ナオミらしくないよ、溜息なんてついちゃって。うーん…男の子?」
私の顔を覗き込むように見つめてクスクス笑うジェシー。
私が反論しないのを見て図星ー!って顔で話を続ける。
「ナオミが男の子のことでこんなになるなんてよっぽどすごい子なんだね…その子に会ってみたいなー」
ジェシー、完全に誤解してるんだってー!
そういうことじゃないんだけどなぁー、憂鬱の種って。
なんだろう…ジェシーと健太郎…そんなに悪い組み合わせじゃないような…。
結構いい感じだと思うけど…ってなに考えてるんだろう…ジェシーに振ってどうするのよ~ダメ、ダメ。
「そんなにマジでなに考えてるの?ナオミ…そんなことしてるとシワが増えるよ」
「ごめん、ごめん。あることに関してちょっと可能性を探ってたって言うか、たんなる妄想~」
興味津々で顔を寄せてくるジェシーから逃げるように椅子から立ち上がって窓の方へ…。
灯りが綺麗…。
東京に来て1番最初に思ったこと、夜が来ても寂しくない…。
眠らないこの街は夜の暗闇が嫌いな私をいつもその灯りで照らしてくれる…。
「ねえ、ナオミ…。まだ夜が嫌いなんだね…」
ジェシーが悲しそうな目で私を見つめる。
曖昧に微笑んだ私になにか言おうとしたジェシーをレッスン開始のベルが遮った。
「ナオミ…また後でね」
「うん、後で…」
私とジェシーは休憩室を出て、それぞれのクラスルームへ向かった。
ジェシー…ありがとう。
たぶんあなただけかもしれない…私が素直になれるのは…。
今日も終わったなぁー。バイト先から家に帰る途中。
電車の手すりに掴まりながらいつもの風景を眺める。
疲れて眠り込んでる人達や無表情で席と体が一体化してしまってるような人達。
立っている人達も同じで、皆、能面のような顔つきで流れていく窓の向こう側の景色を見つめている。
疲れてるんだよーって言われればそうなんだけど。
でも朝の電車の風景も同じような気がする…。
日本に来てすぐの頃は自分だけはこういう風にならないって思っていたのに…。
先日、窓ガラスに映った自分の顔を見て愕然とした。
私も皆と同じ顔をしてる…。
いつからこんな風になっちゃったのかなぁ。
私は窓ガラスの向こうをぼんやり見ていた。
…なに…!
おしりのあたりに違和感が…。
もしかして…これって痴漢?
なんかやけに後ろに立ってる人が体に当たってくると思ったら。
マジ!
最初はショックで頭真っ白だったけど、だんだん今の状況を理解できて冷静に物を考えられるようになった。
窓ガラスに映るそいつはいい歳こいたおじさん。
なにしてんのかなぁー、こんなことして楽しいなんて…。
さて、このおじさんをどうしてやろうかと考えていたその時、誰かが私とおじさんの間に入り込んできて言った。
「あー、ここにいたんだ。探したよ」
振り向くと見知らぬ外国人が立っていた。
あれっ、知ってる人だったかなぁ?
なにも言えずに立ちつくしている私に片目をつぶって合図をする。
あっ、なるほど…。
「乗る車両間違えちゃったみたい、ごめんね」
そう言って私がその外国人のそばに寄るのを見ておじさんは慌てて私達から離れていった。
まったく、しょうも無い。
ねずみのように背中を丸めてこっそりこっちを窺ってる。
私が睨むとそそくさと隣の車両に移って行った。
「ふっー…」
ちょっと安心したら気が抜けて溜息が出てしまった。
「だいじょうぶ?」
心配そうにその人は私の顔を覗き込んだ。
あっ、そうだお礼を言わないと…。
「ありがとう…助けてもらって。でも悔しいな…とっつかまえてやろうかと思ったのに」
その人はクスっと笑って言った。
「確かにその気持ち…わかる。でも不本意ながらあーゆー風にしたよ。 ここで逆切れされても困るし。第一、君が皆の前で恥ずかしい思いをすることになったら却ってかわいそうだと思ったから」
そこまで考えてくれてたんだぁ…この人。
「しかし…皆、見てみないふりだもんなぁ!僕のところから見えたんだから他の人もわかってたはずなのに…」
その人が結構大きな声でそう言ったもんだから、周りの人が聞き耳を立ててるような感じがする。
「ありがとう、でも周りの人に聞こえちゃってるみたい…あなたが言ってること…」
私は周りを気にして小さい声でその人の耳元で囁いた。
「いいんだよ、少しぐらい聞こえたほうが。女の子が困ってるのになにもしないなんて、そっちのほうがおかしい…」
ちょっと声のトーンがキツメになってくその人の腕を取って、おじさんがうつっていった反対の車両に移動する。
「気持ち、凄く嬉しい…でも…これ以上は…もう十分恥ずかしい思いしたから…痴漢にあって…」
その人はちょっとバツが悪そうに俯いて言った。
「ごめん、ちょっと静かな怒りがこみ上げてしまった」
「う・うん。こちらこそ、変なことに巻き込んじゃってごめんなさい。嫌な思いさせちゃって」
「そんなことはいいんだよ。…しかしあのオヤジ…、ここで降りるみたいだよ」
停まった電車からおじさんがホームに降りるところだった。
おじさんはホームに降りると一瞬振り返って電車の方を見た。
私達がおじさんに一瞥をくれてやると、またもやそそくさと人込の中に消えていった。
電車が走り出した。
「またするのかなぁ、あのおじさん…」
「するんだろうね…」
「それって虚しくないのかなぁ…」
私は複雑な思いを胸に、おじさんの降りた街を電車の窓から眺めていた。
何駅か通り過ぎてその人は言った。
「次の駅で降りるから」
そして電車が停まってドアが開いた。
「気をつけて帰ってね。それじゃー」
そう言ってその人は降りて行った。
名前も聞かず別れてしまった…でも…また会えるような気がする…。
なんか風のような人だった…